会社概要
商号 | 日本精蝋株式会社(NIPPON SEIRO CO., LTD.) ※正式には「蠟」ですが、当ホームページでは「蝋」と表示しています。 |
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設立 | 1951年2月10日(創業昭和4年2月10日) |
資本金 | 1億円 |
決算期 | 毎年12月31日 |
本社所在地 | 〒104-0031 東京都中央区京橋2丁目5番18号 京橋創生館10階 |
事業内容 | 石蝋、石油およびその副製品の製造、加工ならびに売買、油槽の賃貸に関する業務 医薬品、医薬部外品化粧品、農業薬品および化学薬品の原料の製造、加工 ならびに売買 |
主要製品 | パラフィンワックスおよびその誘導品 マイクロクリスタリンワックスおよびその誘導品 重油 |
従業員 | 221名(2023年12月末現在) |
沿革
当社の前身である旧日本精蝋株式会社は、昭和初期に当時国内最大の企業であった「南満州鉄道株式会社(以下満鉄)」の総裁 山本条太郎の「輸入に頼っていたパラフィンワックスを国産化し、貴重な外貨の節約に寄与するとともに、残渣油(重油)を徳山海軍燃料廠に供給する」という発想のもとに昭和4年2月に満鉄の100%出資により、資本金200万円で設立されました。
徳山工場の打上工場は、満鉄が旭石油徳山製油所地を買収したものですが、この地はもともと鈴木商店という戦前の財閥商社が大正5年 日本金属 亜鉛精錬所として創業した工場でした。現在でも日本精蝋徳山工場の後ろにそびえたつ赤レンガの煙突は亜鉛を作る際のガス排出の為建てられたものです。
当時のワックスの原料は、満鉄が撫順炭鉱で開発した油母頁岩(ゆもけつがん・オイルシェール)から得られた粗蝋でした。当時製造には多くの困難がありましたが、創業時の先輩方が難渋に難渋を重ね技術開発に取組み、戦前で最高の年間生産量一万三千トンにまで成長しました。数十社を擁する満鉄子会社の中でも最高ランクの優良企業として評価されるまでになっています。
第二次世界大戦に入り、厳しい状況下でもなお操業を続けておりましたが、昭和20年終戦後、操業休止となりGHQの管理下に置かれ旧日本精蝋株式会社は終焉を迎えます。昭和26年GHQの管理が解かれ、新生日本精蝋株式会社となり今日に至りますが、創業時の先輩方の努力の結果が現在私たちに受け継がれています。
1929年 | 南満州鉄道の子会社として設立 |
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1930年 | 徳山工場操業 |
1938年 | 増産工事竣工(月産600トン) |
1945年 | 終戦により在外資産のためGHQの管理下に置かれ旧会社閉鎖 |
1951年 | 在外資産の管理を解かれ資本金620万円をもって新会社設立 |
1952年 | 第1次原料油輸入(スクラナ号) |
1960年 | 増産工事竣工(月産2,300トン) |
1963年 | 東京証券取引所 市場第2部に上場 |
1964年 | 増産工事竣工(月産3,000トン) |
1968年 | 増産工事竣工(月産4,000トン) |
1970年 | 増産工事竣工(月産6,500トン) |
1971年 | 資本金11億2,000万円に増資 |
1972年 | 増産工事竣工(月産8,000トン) 溶剤脱油装置完成 |
1975年 | 大阪支店設置(営業所を昇格) 当社の全額出資により周和産業株式会社を設立(徳山工場) |
1976年 | 化成品製造装置完成 |
1977年 | 顆粒成型装置完成 |
1980年 | パイプ発汗装置増強完成 |
1984年 | 粒状成型装置増強完成 減圧蒸留装置完成 |
1986年 | 化成品製造装置増強完成 |
1992年 | 顆粒成型装置増強完成 |
1993年 | 製品倉庫増設完成 |
1997年 | 本店所在地を東京都中央区京橋から中央区新川に移転 |
1999年 | 粒状成型装置増強完成 |
2000年 | 分子蒸留装置新設 |
2005年 | 分子蒸留装置増設 |
2008年 | つくば事業所設置(茨城県) 食品添加物製造設備新設 当社の全額出資によりテクノワックス株式会社を設立(つくば事業所) |
2011年 | 開発研究センターつくば分室開設(つくば事業所) |
2012年 | 本店所在地を東京都中央区新川から中央区京橋に移転 |
2014年 | 当社の全額出資によりタイ現地法人Nippon Seiro (Thailand) Co.,Ltd.を設立 |
2017年 | 庄の浦分子蒸留装置新設 |
2021年 | 研究・試験棟新設 |
2022年 | 東京証券取引所の市場区分の見直しにより市場第2部からスタンダード市場へ移行 |